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自信をもつこと [日々感じた言葉]

強烈な猛威を首都圏に振るった台風15号が通過してから、
急に涼しくなり、秋めいてきました。

ようやく、朝晩が過ごしやすくなり、体の方も一息つけた
感じです。

僕は元から食が細いので、今年の夏のように猛暑が
続くと秋冬に比べて体重が2キロ近く減って、
バテバテになります・・。

さて、まだ真夏の暑さが残る前回の敬老の日を含んだ
3連休に、息子の陸上競技の大会がありました。

土曜日(17日)が予選、翌日曜日(18日)が決勝で、
ここで上位に残れば市の大会から、県大会に
出れる、という大会でした。

息子は3000メートルに出場。

土曜日の予選は、予選上位5人が決勝に残れる
ところをギリギリの5位で通過です。

翌日、県大会進出を目指して決勝レースに臨み
ました。


前日の夜、息子に「応援に行くぞ!」と言ったところ、
「来なくていいよ」と一言。

この時点でちょっと怪しかったのですが、実際に
決勝レースの結果は、残念なものに・・・。

自己ベストからも大きくタイムを落とす結果でした。


こんなとき、親はどうすれば良いのか?

たぶん、単に励ますだけではダメだと思い、昨年読んだ
水泳の北島選手のコーチの著書を読み返して、
夜、二人で話をしました。

「お前、スタートラインに立ったとき、不安だったろ?」

「最初に飛ばしすぎてあとでバテたらいけない、と思って
 抑えすぎて、でも暑さで結局後半バテて。だったんじゃない?」
 
こう言うと、息子は素直に「うん」とうなづきます。

つまり「自信」がない。


僕自身、浪人して、滑り止めの大学にも本番で舞い上がって
しまい、散々な結果になった経験があります。

最後の国立大学の試験の前日、もうあとがない僕は、
何とかして舞い上がらないようにしたくて、それまで自分が
一番繰り返し取り組んだ、と実感している問題集を一冊だけ
ホテルに持ち込み、寝る前になんども問題を解きました。

何度もやっている問題なので、必ず正解できます。

そして、自分で、大きくノートに丸をつけることを繰り返し
た結果、試験当日、すごく落ち着けた思い出があります。


息子にはその話をしました。

たぶん、自信を持つことは

<「自」分がこれまでやってきたことを「信」じること>

でしか手に入れられないものなんだと思います。


いま、息子は毎日の練習を記録するノートを自分から用意
しています。

・本番で90%の力しかでなくでも、目標のタイムを切れるよう
 普段の練習でのペース配分を早めにすることを意識
 
・練習で走った距離を、常に記録しておき、試合前に
 足し算する

ほんの小さな一歩ですが、こうした積み重ねが、次の
試合で自己ベストにつながれば、彼は何かを手にすることが
できると思います。

そう信じて、見守っていこうと思います。

親も、まだまだ勉強です。


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「忘れる」と言うこと [日々感じた言葉]

新年明けましておめでとうございます。

2011年のお正月も3が日が明け、今日は仕事始めです。

3が日はほぼ例年通り。

元日は夜明け前に起きて、JR駅のキオスクに新聞を
買いに行きました。今年は読売・朝日・毎日・産経に
日経・日経産業・日経MJの合計7誌を購入。

毎年、新聞社によって微妙にトーンの異なる
その年の展望を読み比べるのが恒例行事になっています。

2、3日は箱根駅伝を見ながら、のんびり過ごしました。
関東地方は好天に恵まれて、本当に穏やかなお正月でした。

そして4日の昨日、今年で90歳になる祖母に会いに行きました。

祖母とは、昼食の後の10分くらいの時間、祖母は車椅子に座って、
僕は目の高さが同じになるように椅子に腰掛けて話をしました。

会話の最中、祖母は何度か「忘れちゃってごめんなさいね」と
口にします。

そりゃぁ、そうだ。

40年ちょっと生きた自分の体だって、結構「衰えたなぁ」
と実感する機会があるし、物忘れだって結構ある。

祖母は、その倍の時間を生きてるんだから、
体の色んなところが弱くなるし、体の相互連絡も悪くなる。

僕だって、小さかった頃にきっと祖母に色々とお世話を
してもらったはず。

でも、僕はそれを憶えてはいません。でも、そんなことがあった
んだろうな、という感覚は体の中にあります。

その意味では、こっちこそ「可愛がってもらったことを、
忘れちゃっててごめん」なのだし、・・・お相子です。

ちなみに、「忙」と「忘」という2字は、どちらも
「心」と「亡」という2字で構成されています。

調べてみると、両者はどちらももともとは同じ意味の字だったものを、
意味で振り分けたようです。

「したごころ」の字は

「心の上に何かをのせる」→「心が自分の意志でこうなった」
(忠、志、忍など)、

「りっしんべん」の字は

「心に何かが寄り添う」→「心が外的なものでどうかした」
(快、悩、情など)の字義のものが多い

のだとか。


年末に読んだ片付け本に、こんなことが書いてありました。

「空間は、過去の自分ではなく、未来の自分のために使うべき」


脳はやっぱり体の一器官ですから、その機能・容量は
衰えるときが来ます。

でも、自分は「いま」と「これから」を生きている。

では、限られた機能と容量を、何に振り向けるべきか?

そう考えると、祖母が「忘れる」のは、「これからを生きるために
必要なこと」を憶えておくために、これを使っているからなのだと
思います。

祖母は生きてるのですから。


一緒に付き添って来てくれた叔父が、祖母が「ごめんね」と言うたびに、
「こっちが覚えてるんだから、気にしないで」と声をかけてました。

憶えてくれている人がいるから、安心して忘れられる、のかも。


ちなみに、「忙」は

他のものに心を奪われるので
「わすれさせられる→それほどいそがしい」

という字義だそうです。

うーん、こっちはイヤだな。

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言葉の力 [日々感じた言葉]

言葉の力
昨夜、21時からNHK総合で放映された「チャレンジド」を見ました。

このドラマのタイトル、「チャレンジド(challenged)」とは、
英語で障害者を指すのだそうです。

神様から「チャレンジ」という使命を与えられた人という意味。


ドラマは良い内容でしたが、何より改めて感じたことは、
英語圏、特にアメリカ人のコンセプト・思いを
シンプルな言葉で表現する力、でした。

オバマ大統領がつかったキーワード「チェンジ」。
その後、新しい電力供給システムのあり方を表現した
「スマートグリッド」。

一時、日本のビジネスマンが流行病のように追いかけた、
MBAのテキストに並ぶ、「フレームワーク」「パラダイムシフト」
「ポジショニング」などなど・・。

何となく頭でわかっていても、ぴったりの表現が見つからない、
物事をすっぱりと切って表現する力は、確実に米国の方が上だな、
と感じます。

一方の日本語の場合、「障害者」って単純にありのままの事実を
表現したもの、に近くなっています。

そこには、本人が障害に感じていなくても「障害を抱えた人」と
いうラベルが貼られてしまう気がします。

生真面目で、仕事をさせると正確。

そんな日本人のイメージは、日本語の持つ特性だし、良いところ
だと思います。

ですが、これから、もっともっと世界にメッセージを発信する国に
なるためには

「違う言い方があっても良いじゃない」
「この呼び方の方が良いよね」

と柔軟に言い換えに「チャレンジ」することを意識しなきゃ、
と思いました。

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団結の力 [日々感じた言葉]

今年の全国高校サッカーは、僕の故郷・広島の皆実高校が、
広島県勢としては実に41大会ぶりに優勝しました。

広島県出身者としては、素直に嬉しいニュースでした。
これで、あとは赤ヘル軍団がAクラスに復活すれば・・って感じです。

前回大会の同校は、堅守のチームとしてカラーが明確に
なっていて、確か無得点・無失点でベスト8まで勝ち進んだ
チームでした。

今年はその伝統に強攻というカラーがしっかり加わり、
優勝という結果を手にしました。

「堅守強攻」

この分かりやすいチーム作りのVisionが果たした役割は、すごく
大きかったんじゃなか、と思います。

対する鹿児島城西は、エースストライカーに超高校級の選手がいて
その選手を中心としたチーム。

決勝でも、このエースには先制点を許しました。

でも、そのあとが見事。
常に数人がかりでマークに行き、粘り強い守りで封じていました。

決勝で戦った2チーム。どちらも素晴らしいチームでしたが
その勝敗を決めたのは、

「サッカーは11人でやるチームスポーツである」

という本質を、より深く理解していたのが広島皆実高校のメンバー
だったんじゃないか、と思います。


・飛びぬけたエースはいない。
・ほとんどの選手が、地元のJリーグチームのユースクラブの選から
 漏れた経験を持つ。

でも、だからこそ、彼らは11人が1つになったときの力を信じ切れた。
優勝はその結果なんじゃないか、と思うのです。



決勝でゴールを決めた、広島皆実のFWの選手は試合後にこう言いました。
「うちにはスーパースターはいないけど、日本一の団結力がある」。



彼らがスポーツを通じて学び、体得した「団結の力」。

それは、彼らが将来、どんな道に進んでも、ずっと自身の判断・価値観の
幹になるのだと思います。


今更ながら、学生時代に何か1つで良いから、スポーツをやり続ける
ことをやっておけば良かった、と、優勝に歓喜する選手の映像を見て
ちょっぴり悔やんだりしました。

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「あたりまえ」 [日々感じた言葉]

先日6日の土曜日には、セミナーに出席してきました。

このセミナーで、講師が投げてくれた、こんな問いかけ。

「あなたにとって『あたりまえ』とは?」

なんだか、この問いが勉強会が終わってもずっと心に残っています。



「こんなことはできて当たり前」

物心がついてから現在に至るまで、このように言われたことや
誰かに言った事があります。

それも、1度や2度ではなく。

人は誰でも、自分の中で「あたりたりまえ」としていることが、
相手にとっても「あたりまえ」であると考えてしまい、
自然と相手にそれを求めたり、時には、それができないと憤りさえ
感じてしまうものなんだと思います。


そもそも「あたりまえ」って何なのか?

考えてみたのですが、僕らが「あたりまえ」という言葉を使う場合には
2通りの場合があるような気がします。

1つは、能力系の意味。
つまり、自分にとっては普通に出来ること。ほとんど無意識にできて
いること(習慣)とか。

もう1つが、存在系の意味。そこにあって当たり前という意味。
自分に両親がいて、家族がいて、友人がいて、働ける職場があって。


能力系の「あたりまえ」は、よく選手時代に大打者だった人は、
コーチ業では大成しない、などど言われますよね。

ご本人にとっては、投げられた球を「あたりまえ」に打ち返している
だけだから、教えられない、なんてのはその類の例だと思います。

僕が最近心がけているのは、「狙って」身に着ける「あたりまえ」を
少しづつ増やすこと。

例えば、読書をする習慣を身に着けたい、と思ったので、毎日の
入浴時間に本を読むことを始めました。

最初は意識していましたが、最近では本とバスタオルを持って
お風呂場に行くのを、考えずにやっています。

その結果、今年も60冊以上の良書にめぐり合えました。

メモを取ることもそうです。最初は自分の書いた字が汚く見えて
書き直したりして、面倒な作業だったのですが、万年筆をつかったり
(書いた字が綺麗に見えるから)、書き味の良い紙質のメモ帳を
探したりして、いまではこれも習慣になっています。


実は、「狙ってあたりまえを身に着ける」ことに取り組んだきっかけは、
自分の成長を実感したかったからなんです。

大人になると、なかなか自分が立ち止まっているのか、少しでも成長
出来ているのか、わかりにくくなります。

僕は、「あたりまえ」に出来ることが増えることを、自分自身が
小さくても成長している証になるんじゃないか、と思っています。


そして、今回の勉強会で改めて思ったこと。

それは、「あたりまえ(存在系)」が、本当は「あたりまえのことではない」
と、「あたりまえ(能力系)」に気づき、「あたりまえ(能力系)」に
感謝できるようになりたい、という思いです。

僕は、6年前に父親が亡くなって、初めて両親が健在で、兄弟3人と
あわせて5人で家族であることが、「あたりまえ」でなくなった
ことを実感しました。

「あたりまえのことが、あたりまえではない」ことに気付く。
それも、ごく「あたりまえ」に。

「あたりまえこと」は、普段の生活の中で見過ごしてしまいがちです。
でも、失って初めて気付くのも「当たり前のこと」だったりして。


きっと、この「あたりまえのこと(存在系)」に気付く力を養うことが、
幸せを感じ取る大きな力になる気がします。

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言葉の力と使い方 [日々感じた言葉]

久しぶりの更新です。(^^;

最近は期末が近く、仕事上、来期の事業計画を立てる時期でも
あるので、やたらと会議が多くなっています。

そこで、いつも発生するのが「言葉狩り」。

例えばある人の意見に、
「うーん、ちょっと違うんじゃないかなぁ」
と言う発言がなされると、その言葉に意見を言った人が
反応する。
「こうあるべきだ。違うと言うならどうすべきか言ってみろ」
といった具合に。

そして、徐々に「言った」「言わない」、「そもそもそんな
つもりで言ったんじゃない」などど、議論の論点などそっちのけで
ただただ「言葉狩り」に終始してしまう。

時には自分もその当事者になる事があるので、偉そうな
ことは言えませんが・・。

実は5年間のドイツ駐在から帰国したとき、僕は日本の
組織の「言葉狩り」にすごく戸惑いました。

日本語の良いところでもあり、悪いところでもある
あいまいさ。

これが英語になると、ほとんど起こらないんです。

英語には丁寧語・敬語の概念があまりありません。

ですから、まず年上の人に対して、砕けた言い方を
した際に、その「言葉遣い」に噛み付かれる、といった
自体はまず起こりません。

また、ひとつの単語の意味の定義がしっかりしていて、
否定なのか?肯定なのか?が明確に語れます。

だから、後になって「自分は肯定したつもりはなかった」
とか、「その言葉をそんな意味で言ったんじゃない」
という、誤解も生じにくい。

そんな、ある意味「楽な」環境で仕事のコミュニケーションを
してきたから、戸惑いも大きかったんだと思います。

僕は、何かを伝えるとき、本当に伝えたいと思ったときには
言葉使いがめちゃくちゃになることがあります。

伝えたい気持ちより、主張したい気持ちが勝つのだと
思います。

「想い」が伝われば良い、と思っていたし
言い方なんで、所詮、伝えるための道具に過ぎない
と思っていました。

でも、そうやって伝えても、なんだか寂しい感じが
するようになりました。

だから最近が少し気をつけるようにしています。

例えば「~すべき」という、自分の正しさを強調するような
言い回しをやめて、「~する、というほうが僕はしっくり来ます」
と言う単純な個人的な感情の表現にとどめるとか。

相手が言っていることを、自分が「こう理解したよ」と
伝えるために、わざと相手に見えるようにメモ(図解)を
とったり。

目標は「伝えること」だけ。

理論武装して「ねじ伏せたり」「強引に納得させたり」して、相手の
納得感が減らないように。「言葉使い」を意識して。

なかなか実践出来ていませんが、少しでも自分が伝えたい
ものを、相手にも気持ちよく受け取ってもらえるよう
使う言葉選びにも心を込めたい。

そんな風に思っています。

幸せな定年退職 [日々感じた言葉]

今日は今月で満60歳を向かえ、定年退職される同僚の
送別会がありました。

いまもまだ他の皆さんは、その方を囲んでお酒を飲んで
いると思います。

僕はお酒が飲めないことと、それにもまして送別会の
間、ずっと感じていたことを、とにかく書きとめたくて
急いで帰宅し、いまPCに向かっています。

その方は、満60歳を迎える方ですが、特に役職についている
訳ではなく、自分より年下の上司の下、僕のように20も歳が
離れている者と一緒に、淡々と日々の業務をこなして
来られました。

送別会は、とっても良い会になりました。

一人ひとりで「送る言葉」を述べるとき、昔の思い出を
とめどなく語る人、涙が止まらなくなって言葉が出なく
なる人、これ以上しゃべると涙が出るからと言って
一言「お世話になりました」とだけ言ってうつむいた
人・・。

そして、仲間の一人ひとりと、きちんと向き合って、
ニコニコ笑いながら御礼の言葉を返す。

そんな光景を見ていて、僕はとても幸せな気持ちに
なりました。

僕の会社は、今の会社に吸収合併されました。
ですから、ここ数年はリストラや、早期退職の方を
見送ることしかして来ませんでした。
いや、思い返せば、前の会社が悪くなる以前だって、
こんな風に送るほうも送られるほうも「心から幸せ」
な送別は経験がありません。

退職って、何となく自分で別の生き方を見つけて
定年前に「どうだ!」とばかりに勢い良く飛び出す
イメージぐらいしか持ってませんでした。

これまで、自分が定年を迎えるなんて想像したことが
ありませんでした。(もともと未来を描くことが苦手な
価値観型の人間なので・・^^;)

出世競争に負けて、役職定年を迎える、なんて
考えたくない!、ぐらいのマイナスイメージを
むしろ持っていたぐらいです。

だから、余計に今日の送別会で感じた「幸せ感」が
鮮明に心に焼きつきました。

自分が送られるとき、周りの仲間にどんな顔で見送って
もらえたら自分が幸せなのか?

そのひとつの自分の価値観にドンとはまる「絵」を
今日見た気がします。

最後にその方はこうおっしゃいました。

「能力もない自分が何が出来るか?考えた結果、自分は
 職場にいる仲間が、笑って楽しく仕事が出来るように
 行動しよう、と思って過ごして来ました」

自分の生き方・行動を決めるのは、自分自身である。

自分の生き方にしたがって、行動した結果、自分自身が
スッキリと区切りの日を迎えられ、そして周囲の人の
心に鮮やかな思い出を残す。

何が自分にとって幸せを感じることなのか。
その大きなヒントを、最後の最後に教えていただいた。

いまそんな気持ちでいます。


自分の感性を鍛える [日々感じた言葉]

最近、息子がお年玉でPlay Station Portable(PSP)を買いました。

基本はゲーム機なんですが、どうやら彼の友達が、友人がお兄さんに
教わって好きな音楽をPSPにダウンロードして聞いていたらしく、
早速「大人のお父さんなら出来るはずだよね」とばかりに
設定を・・(;_;)。

まぁ、上手く必要なソフトを手に入れて、何とか面目を保ったのですが…

ただ、オンラインでのダウンロードは、クレジットカード決済なので、
金銭教育上(?)まずはレンタルCD屋に行って、好きな曲を選ばせ、
彼のお小遣いからその費用を出させました。

自宅で借りてきたCDをPCに取り込み、それをPSPに転送する。

そして、PSPから音楽が流れ出したときの、息子のニヤけた
顔が嬉しくて、二人でCDの歌詞カードを見ながら流れる曲に
あわせて大合唱です。

そのときふと感じました。

音楽を聴くとき、僕が10代の頃の聞き方は、音楽を耳で聞き、
ジャケットや歌詞カードを目で楽しみながら、でした。

音楽CDを、ひとつのパッケージとして楽しんでいました。

そして、時にはCD屋で目に付いて印象的だったジャケットの
CDを思い切って買ってみたり、そんな風にして買った音楽に
衝撃を受けたり、がっかりしたり。

そんな失敗や成功の繰り返しから、大学生の時期には、ジャケットや
雑誌の紹介文で、ピンと来た作品は、ほとんど自分の好みを外すこと
がなかった気がします。

いわゆる「量稽古」をしていたわけです。

考えてみれば、着る物もそうです。自分では似合っていると思うもの
を、結構自分の感性を信じて身に着けていた気がします。

僕の息子の時代には、音楽を購入するのは、CD(レンタル)屋まで行くの
ではなく、携帯電話などから、聞きたいときにすぐに「ダウンロード」
することが主流になるのでしょう。

ネットにアップされている音楽。

ネットでは、音楽だって情報です。ダウンロードの場所には、きっと
いろんな人の推薦文が書かれていて、事前に自分の感性に合うか合わないか
がわかった上で購入できる。

すると「CDのジャケット買い」のように、何の情報も持たずに、いきなり
自分にとって全く新しい音楽に出会って衝撃を受けるような経験をする事が
この先あるのかなぁと思いました。

失敗しないけど、自分の嗅覚みたいなものも育てられない。

自分の価値観って、頭だけでなく結構感覚(好き嫌いとか)も総動員しないと
認識できない気がします。

ネットは便利ですが、店頭で自分で商品を選らぶ時の肌感覚のようなもの
を、多感な時期に育てられないまま、社会に出る。

そして、いきなり自分のやりたい事を探せと言われる。

リアルな体験なしで、物が手に入れられる時代。

だから、今年の新成人が一番欲しいものが、「お金」だったり
するのかも知れません。


イチローだって「楽しむ」が大事 [日々感じた言葉]

少し前に放送された番組ですが、1月2日に、NHKのドキュメンタリー

「プロフェッショナル 仕事の流儀」

でイチロースペシャルをやっていました。

実は、昨夜、録画していたものを観たのですが、すでにさまざまな
方が、ブログなどでコメントしているように、彼の準備運動の話は
思わずうなってしまいました。

イチローは、試合が始まるまで、すべての準備をルーチン化して
綿密に決めていて、何も考えることなくウォーミングアップを
するそうです。

すると、自分でも意識しないうちに、大リーガーのイチローに
スイッチが入る、とのこと。

それをキャスターである脳科学者の茂木健一郎さんが、
無意識の領域を扱うのならそういう方法しかない、とコメントした
ところが非常に印象に残りました。

そう言われれば、僕も通勤電車に揺られてボーとしているうちに
何となく職場で仕事をする人モードになっています。

この意識せずに仕事に取り掛かる前に自分がしている行為に
ちょっと意識を向けることは、自分の集中力を上手くコントロールし、
毎日同じパフォーマンスを発揮できることにつながるかも
しれません。

このことは、すでにかなりの方が同じようなコメントをしている点
なのですが、僕は彼が「実績を残して当たり前」の重圧と向き合い
もう一度、野球が楽しいと感じられる入り口に来たと、とっても
良い顔で話をしたことが印象的でした。

彼は、結果を残すことの期待・プレッシャーをずっと感じ続けてきた人です。

一時期の彼は、精神的な弱さからくる微妙なバッティングのズレを、
高度な技術を身につけることで乗り越えようとしてきたそうです。

実際にそれが出来るのが天才なのですが、「その時期は野球は
楽しかったですか?」と聞かれて、「そうでもなかった」と
答えたのです。

僕らからすれば、大好きな野球であれだけの成功しているんだから、
とうらやましく思うのですが、考えてみれば大好きな野球を
仕事として続けてきて、その野球を楽しめなくなるなんて
ものすごくつらいことですよね。

そして、昨年、彼が思い至ったのが「プレッシャー自体と
向き合って、むしろ楽しんでしまおう」という心の持ち方
だったそうです。

いまはその入り口に来ている。だから来期がとても楽しみだ。

彼は自信たっぷりにそう語ります。

仕事でも何でも、いま自分が取り組んでいることを「楽しむ」
という姿勢・心の持ち方。

その大切さに、何となく気がついていただけに、イチローだって
そうなんだ、とわかり、すごく嬉しくなりました。

「楽しさ」を創り出すために、自分を磨く。

今年のテーマです!


自分のいる場所をユートピアにする [日々感じた言葉]

最近のお気に入りの番組に、NHKが火曜日に放送している
「プロフェッショナル 仕事の流儀」という番組が
あります。

昨日のゲストはキュレーター・長谷川祐子氏。

キュレーターとは、展覧会の企画から、作家や作品の選択、
展示の配置など、そのすべてに関わる、いわば展覧会の
プロデューサーだそうで、この方は年間130万人を集める
人気美術館、金沢21世紀美術館の立ち上げに参加し
キュレーターの中心として、その大成功を支えた人なんだそうです。

その方が、番組の最後に聞かれる定番の質問、「あなたにとって
プロフェッショナルとは?」と聞かれて答えたことが、先日
日記に書いた「楽しさを自分で創る」に似ていてすごく
嬉しかったのでご紹介します。

「いろんな状況があると思いますけど、どういう状況にも
関わらず、そのことに対して不満を言うことなく、
自分のいる場所をユートピアに出来る人だと思います」

ユートピア!。ガツンと来た言葉でした。

あと、番組の中で、展覧会などで人をひきつけるポイント
として、2点をあげていました。

一点目は「緊張とリラックス」。

展示されているアートが、緊張感を強いるもの(例えば暗いトーンの
もの)ばかり並べるのではなく、いくつか暗いトーンの絵を
並べたら、パッと明るくなるトーンの作品を置くのだそうです。

確かに、いっつも緊張ばかりしていたら、観る側が疲れちゃいます。

この点って、仕事の際にも、自分がリラックスできる瞬間を意図的に
創ることで、自分自身の仕事に対するやる気を維持することに
繋がるような気がします。

やっぱり「楽しみを創る」ことって大切なんだですね。

そして2点目は「チラリズム」。

作品にたどり着くまでの通路に、光などで、わざと作品を感じさせる
仕掛けをつくるのだそうです。
そうすることで、観客の作品を見る姿勢が全く変わってくるのだとか。

この話を聴いて、自分がアシスタントをしてくれている人に
始めから全体を教えすぎなのかも、と思いました。

僕は例え単純作業をお願いするにしても、そのことが全体に
どう繋がるか、をしっかり教えておかないとやる気がでない
はず、と考えています。

でも、それをあえて小出しにする方が、人によっては
もっと詳しく聞きたい!と感じてくれるのかも知れませんね。

チラリズム。大きな気づきです。


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